リハビリテーションとはなにか?

リハビリの基礎知識
ミチル
おにいちゃん、リハビリってなに?
チルチル
リハビリっていうのは、えーと、その、うーん・・・・・・ なんだろう ❓

チルチルとミチルが困っています。
でも実際のところ、理学療法士の私が「リハビリとはなんですか?」と聞かれても、一言で明確に答えるのは難しいでしょう。それは、もともと持っていた言葉の意味に加えて、現在の「リハビリ」は多くの新しい要素を取り込んで、幅広く複雑な概念に変わってきているからです。
ここでは「リハビリテーション」の語源から、大まかにどのようなものなのか、教科書的なものではなく、実際に携わっている者からの視点でお話ししたいと思います。

身体に障害を持ち不安を抱えている人にとって、リハビリは強い味方になります。しかし、そもそも「リハビリテーション」という言葉は何を意味するのでしょうか。
リハビリテーション(rehabilitation)はラテン語の「rehabilitare」が語源になっていると言われています。「re」は”再び”、「habilitare」は”能力を与える”、”適合させる”というような意味で、直訳すると「再び能力を与える」「再び適合させる」となります。

まず、リハビリには「再び能力を獲得する」や「社会や所属していた場所に復帰する」という意味があると言えるでしょう。

ちなみに小児の場合、「リハビリテーション」ではなく「ハビリテーション(habilitation)」と呼ぶこともあります。成人のようにもともと有していた能力を”再び”獲得するのではなく、小児の場合は”新しく”能力を獲得することを目指すためです。

さて、ここで言う能力とは必ずしも、歩く、起き上がる、階段を上り下りするなど、我々の目に見えるような運動に限りません。息を吸い吐きする(呼吸)や食べ物を摂取する(摂食・嚥下)、言葉を話す・理解する(言語・認知)などあらゆるものが対象になります。

病状や障害が強く複雑になるほど、リハビリも広い視野を必要とします。人間の生活は自分の身体だけで完結するものではなく、周囲の環境や人々と協調してはじめて成立するものだからです。

例えば、病院の廊下を歩くことができたとしても、自宅の家具が置いてある環境ではどうなのか、畳での生活はどうなのか、外に出たらどうなのか、坂道はどうなのか。在職中の方であれば、職場復帰も考える必要があります。通勤手段として車を運転することができるのか、電車やバスに乗ることができるのか、職場に着いたとしても元の仕事ができるのか、さらに言語や理解に障害があるなら、以前のように他人と関係を築いていくことができるのか、そのような視点が必要になります。

健康な時はこのようなことは当たり前にできます。そのため、それほど障壁と思わない方が多いのですが、実際に退院して家に戻るとその違いに気付きます。
布団から起き上がるのに苦労し、平坦だと思っていた道路のわずかな傾斜にとまどい、駅では人の流れに付いていけず、今までできていたことと現在とのギャップをそこで痛感されることも珍しくありません。

このように環境や社会に適応し関係を作ることも大切な能力です。病院でのリハビリ中にはあらかじめ、起こりうる環境・社会的障害も想定し、訓練や助言を行います。家に戻ってからも環境に合わせた訓練を訪問リハビリで行うことができます。

また、リハビリと言えば、病院で理学療法士、作業療法士、言語聴覚士など専門職が行う訓練をイメージしがちですが、それだけでは退院した途端、身体が弱ってしまいます。
通所サービス(デイサービス、デイケア)で他人と過ごすこと、身の回りのことをできる範囲で行うことなど、生活上のあらゆる活動が心身を刺激して身体能力の維持につながります。

家族と旅行やショッピングに外出することも大きなリハビリになります。前述したとおり、環境に適応する能力もリハビリの大切な要素のひとつですし、好きなことを実行できると自信や意欲にもつながります。そのような意味では、家族の支援も重要なリハビリのポイントと言えるでしょう。
最近はリハビリの範疇も広くなり、すでに持っている能力を衰えさせないようにする予防的な要素も重要視されています。一度能力が落ちると改善するのに時間と労力がかかります。健康を維持できれば医療費の削減にもつながるので、行政も予防には大きな関心を示しています。今後も「予防」はリハビリにおける大きな要素になっていくでしょう。

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最後に、身体の能力が回復して家庭や職場など元の場所に戻れれば、それでリハビリは十分なのでしょうか? 逆に言えば、それが達成できなければリハビリは失敗なのでしょうか?

もちろん、身体が回復して社会復帰することは重要なのですが、それに心を奪われて忘れがちな大切なことがあります。
それは、その人自身がどのように自分の人生を生きているか、ということです。

1999年に発表された厚生労働省の「地域リハビリテーション支援活動マニュアル」(地域リハビリテーション支援活動マニュアル作成に関する研究班 班長:澤村誠志)には次のように書かれています。

リハビリテーションとはサービスであるとともに、技術であり、ひとつの思想でもある。また、リハビリテーションは、医学、教育、職業、社会など、きわめて多角的なアプローチを必要としている。さらにリハビリテーションとはなによりもまず人権の問題であり、本来人権をもたない障害者に国や社会が恩恵・慈悲として人権を付与するものではない。人が生まれながらにしてもっている人権が、本人の障害と社会制度や慣習・偏見などによって失われた状態から、本来のあるべき姿に回復させるのがリハビリテーションである

そこには「リハビリテーションとはなによりもまず人権の問題であり」と書かれています。時代が現代に近づくにつれて、リハビリテーションの概念には「身体能力の改善」「環境への適応」に加えて「人権」というキーワードが結びつけられていったように思います。

私なりに解釈すると、ここで言う人権とは、本人が尊厳を失わず主体性を持って人生を生きているか、ということだと思います。
身体の自由を失うことは想像を絶する厳しさであり、時に大きな喪失感を伴うものです。そのような状態に陥った時、人は自分が人生をコントロールし選択しているとは思えなくなるのでしょう。

「自分の人生である」という感覚を取り戻していただき、前向きに主体的に生きていただくことがリハビリの大切な目標のひとつであると私は考えています。

このようにリハビリテーションは本来、「再び能力を獲得する」「社会や所属していた場所に復帰する」という意味ですが、その「能力」という言葉の示す範囲は広く、現在では予防的な観点も含みます。また身体的なことだけでなく人権や精神的な問題も含みます。
そのような多くの意味を内包した概念と考えれば良いでしょう。リハビリは普段の生活にも深く根付いています。病院の一部で行われているだけのものではなく、理学療法士など専門職だけが扱うものでもありません。もっと身近で広く大きな存在なのです。