在宅リハビリの可能性

在宅でのリハビリテーション

病院でのリハビリが、能力の再獲得を目標に集中的に行われるのに対して、在宅のリハビリはその人の状態によって様々な形があります。同じ人が対象であっても、長い在宅生活では状態が変わりますから、求められるリハビリもまた変化していきます。

運動を積極的に促す時期もありますが、一方で体調が下降傾向にある場合や終末期に差し掛かった時などは、無理をせずに身体が楽に過ごせるような内容を行います。

ご自身で運動ができない状態では、関節や筋肉が動く機会が減り、それは血液やリンパ液など体液の循環を低下させて二次的な苦痛やさらなる体調低下を招きます。そのような時、他人の手であっても身体を動かすことでそのような症状を緩和できるかもしれません。

在宅と病院のリハビリの違い」で話したように、その人の状態や環境、価値観などに合わせて、本人、家族、サービス担当者がチームとなってリハビリにあたります。理学療法士など一部の専門家に任せて勝手に治してくれるというものではありません。それではおそらく十分な効果が得られないでしょう。

そのような意味で在宅リハビリには病院のようにわかりやすい形があるわけではありません。もちろん、リハビリの専門的な訓練はありますが、もっと幅広い範囲で柔軟で多様性を持って捉えるべきものだと思います。

実際に自分が多くの在宅リハビリに関わる中で感じたことがあります。それは、在宅でのリハビリは決して、病院の訓練の代用品や間に合わせではない ということです。

病院ですでに多くの時間のリハビリを行い、慢性期、維持期にすっかり移った状態であっても、不思議と在宅で回復する方がいます。認知症や高次機能障害など重度の障害を抱えた人でもそのような回復は見られます。

それは全く動かなかった手足が大きく動くようになったり、寝たきりの人が歩けるようになるなど、回復期のような変化が起こるわけではありません。

前より会話がしっかりした気がするとか、しっかり座れるようになったとか、表情が穏やかで笑顔が多くなったとか、小さな変化です。しかし、前向きにリハビリや介護に取り組んでいる家族にはわかります
多くは目に見えるものではなく、じわりじわりと変化していきます。ある時、ふと気がつくと状態が良くなっていたということも珍しくありません。

このような回復の中には、自分の知識や病院での経験では考えにくいような改善もあります。そのような体験を繰り返すと、家というものには何かその人に及ぼす特別な作用があるのではないかと考えてしまいます。

在宅でのリハビリは楽なことではありません。その大変な中でも、一緒に過ごせることに喜びを見い出す家族の笑顔や愛情 が、人の身体を癒やす効果があるのではないかと思います。

科学的ではないかもしれませんが、それだけのことを思わせるものが在宅のリハビリにはあります。

そのような意味で、運動はもちろんなのですが、一緒にテレビを見ていても、声を一言かけるにしても、生活の全てが治療でありリハビリの一部なのではないかと感じさせます。そこには、義務感や理屈で強引に生活にリハビリを入れ込んだのとは違い、本人や家族が主体になって行う、その人たちの生き方が反映されています。

リハビリとは「「自分の人生である」という感覚を取り戻していただき、前向きに主体的に生きていただくこと」が大切な目標のひとつだと以前に書きました(→ 参考記事「リハビリテーションとはなにか?」)。

その人の身体を治癒させるのはその人自身の回復力です。その人たちが本来の生き方に近づいた時こそ、もっとも生命の力強さが生まれるのではないか。それが在宅リハビリの可能性を支えているのではないかと思うのです。